創業の歴史
1968年(昭和43年)2月、若き日の光岡進が馬小屋を改装してはじめた鈑金塗装業(光岡自動車工業創業)から、すべてがはじまりました。
当時は光岡進と妻の幸子、社員数人の小さな会社でしたが、高度経済成長期最後の仕上げ時期に後押され、1979年(昭和54年)には法人化し、株式会社光岡自動車として中古車販売業を足がかりに全国展開を果たしました。
前途洋々たる若者たちは「いつか自分のクルマを作りたい」と一様に明るい未来を想い描きました。
開発部の発足
1981年(昭和56年)12月、光岡進は社内に開発部を発足し、オリジナルカーの製造に乗り出しました。
車椅子の方でも乗降可能な一人乗りミニカー「BUBUシャトル50」を筆頭に、以降、数々のオリジナルカーを世に送り出しました。
本格的な改造車の製造は1987年(昭和62年)7月、渡航先で見つけたレプリカタイプのキットカーを参考にした「BUBUクラシックSSK」から始まります。
悲願の乗用車メーカー
そして、創業から28年、ついに国内10番目の乗用車メーカー「光岡自動車」として動き出します。
1996年(平成8年)4月、オリジナルカー「ゼロワン」が型式認証を取得。
幾多の苦難や挫折を乗り越え、ようやくつかんだ悲願でした。
100年企業をめざして
2018年(平成30年)2月には創業50周年を迎えた光岡自動車は、新たなスローガン「夢、挑戦、次代へ」を掲げます。
これから50年先の未来に向けて、次代を担う若き世代とともに、新たな夢に向かって挑戦し続ける決意を新たにしました。
2024年(令和6年)4月、光岡自動車の「これまで」と「これから」は、次代を担う若き世代と代表取締役社長「大野 貢」に引き継がれます。
先日大きな話題を集めた新型車の投入やディーラー事業の展開、積極的な人材採用など。
皆様にワクワクと夢をお届けする、これからの光岡自動車にどうぞご期待ください。
代表挨拶
光岡自動車は、昭和のモータリゼーションの時流をとらえ、情熱と突破力でここまで駆け抜けてまいりました。
それは、自在な想像力で勢いのあるミツオカらしさの象徴でもあります。
近年は、価値観や時代背景の変化で、あらゆる業態に変革が求められる時代となりましたが、光岡自動車のディーラー経営や製造業経営においても、情熱と突破力だけでは乗り越えられない社会の潮流を肌で感じています。
私たちは、ミツオカらしさを活かしながらも、常に時代のニーズにマッチする企業であり続けるための『体幹』を鍛え、光岡自動車という大木をより太く成長させる必要があります。
社員一人一人の能力を最大限に引き出せるよう仕事の質を向上させながら、100年企業への原動力として育てていきたいと思います。
(代表取締役社長 大野貢)