ビュート君ありがとう | 光岡自動車

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ビュート君ありがとう

思えば、光岡自動車との出会いは、平成16年の運命の出会いである。軽四を買い替えのため、国産の車に決めようと試乗していたときの道すがら、思いがけなく松山市の郊外の小さな自動車会社の中古車が目に留まった。本当に偶然で、普段通らない道だったので、神様から導かれたのであろう。紺色の「レイ」を一目で気に入って即購入、愛車となった。

平成23年11月、妻と二人で娘たちの良縁を祈願に出雲大社へ出発。山陰を甘く見てはいけなかった。チェーンを持ってなかった僕たちは、降雪で高速から降ろされたあと、一般道をそろりそろりと峠を降るしかなかった。タイヤは滑る。2時間ほど恐る恐る雪道を行くと麓では雪はなく命拾い。無事に出雲大社へ参ることができた。長女が結婚することになったのは、そのときの祈願のお蔭だと今でも信じている。

次の車は、1999年製ライトブルーのビュートだ。光岡自動車を知ってからビュートが欲しいとずっと探していたが、全国展開している中古車センターで見つけた。平成24年12月にレイを下取りに出し乗り換え。色も落ち着いた感じで休日の度にドライブに行くくらいに気に入っていた。平成25年7月に、毎年恒例行事のウナギ店に行ったら、なんとウナギ高騰のあおりを受け閉店の看板。そこから不運の始まりであった。ウナギを食べたかったので、店を探してもう一つ郊外に足を延ばした。ウナギを食べての帰り道で、後ろから来た自動車にお釜を掘られ、前の車にも衝突し、挟まれてペシャンコに。損害賠償請求は大変だった。旧車なので30万円がせいぜいと言われ、自動車事故について猛勉強した。結局、2000年製のビュートを購入することで、当初の2倍くらいまで保険金を引き上げることができた。ライトブルーのビュートは大破したが、ホイルと革張りシートは無事だったので遺品として付け替えてもらった。

こんどのビュートは阪急電鉄のマルーン色で、たいそう気に入って乗り続けた。その間、ずっと僕と妻の人生の友であった。孫も生まれた。2020年がオリンピックなので、2020のナンバーを付けたのだが、寄る年波には勝てなかった。製造から20年。2020年2月、泣く泣くビュートとお別れである。早咲きの桜を見にドライブしてサヨナラをした。

60歳になった僕は、2020年7月コロナがまん延したことで、家に居ることが多くなり小学生以来の紙粘土で、ビュートを作成してみた。大切な思い出として今も大事に部屋に飾ってある。いつかビュートの新車に乗って、妻と二人で富山の本社に行って見たいと思う。

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